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君と僕の八月十三日 by 小林海里

作:小林海里
分量:28枚  使用お題:逃げ水を追い駆ける、花火、麦わら帽子、親戚の家


 僕は目を覚ました。
 眠りから覚めた僕の体はまだまどろみの中で漂っていた。体が鉛のように重い。とりあ
えず顔だけを右に動かすと、立派な仏壇が尊厳を持って鎮座していた。仏壇の前で寝てい
たのか、僕は。
 上体だけをのっそりと起こすと、座敷の障子が全開だった。そこから縁側と、小さな畑
がある庭が見える。縁側の先、庭の真ん中に、その少女はいた。

「慎太郎さん」

 少女は青い空が映える晴天の中、自分の頭よりもずっと大きい麦わら帽子を被って、僕
の名前を呼んだ。
 少女は振り向いて、大人になった顔を見せる。彼女は唇を上に向け、微笑んでみせた。

「おはよう」

 僕はへらりと笑い返した。
 十六年ほど前に亡くなった少女に。
「おはよう」

 また今年もこの時期がやってきたかと、壁にかけられたカレンダーを見ると、今日はま
さしく八月十三日だった。



『君と僕の八月十三日』



 毎年八月十三日になると、決まって少女は僕の前に現れた。
 当時から僕は心の病を患い、母の家で療養していた。彼女は生前から夏休みの時期にな
ると、この家に遊びに来ていた。少女は社会にも出られないこんな駄目な叔父によく懐い
てくれた。僕も彼女は兄の娘ということで特別に可愛がっていた。
 事件が起こったのは、十六年前の夏の日だった。
 その日は彼女を連れて街の中を彷徨っていた。八月中旬の炎天下。彼女は何を思ったの
か僕の手を振りほどき、道路へ飛び出していったのだ。僕は手を伸ばして追いかけた。彼
女は逃げ水のようだった。
 結局僕は彼女の手を掴むどころか、あまつさえ死なせてしまった。彼女が飛び込んだの
は大型トラックの前だった。僕は、それはもう悲しんだ。悲しくて悲しくてどうにかなっ
てしまいそうだった。大切な姪を死なせてしまった。僕のせいだった。僕がもっと彼女の
手を強く握っていたら、こんなことにはならなかったはずだった。
 そんな悲しみに溢れた毎日を過ごしていたが、翌年の八月十三日、彼女の命日に、彼女
は生身の人間のように僕の前に現れた。しかも年齢を重ねていた。亡霊であるはずなのに、
彼女は歳をとっていた。
 彼女は八月十三日だけ、僕の前に現れた。そして十六年目、当時九歳だった少女は二十
五歳の姿になっていた。
 僕が彼女を「少女」と呼んでしまうのは、僕の中で彼女はいつまでも「少女」のままだ
ったからだ。僕の中でだけ、彼女は時を止めていた。
 いつまでも夏の青空を保有する、刹那の少女。
 彼女が生きていたら、きっとこのように育っていったのだと思うと、胸が苦しかった。


 暑さを逃がすために障子窓を開いていた。
 コントラストの強い真夏の庭は、見ているだけでも熱気がこもってしまいそうだ。その
中で彼女、麻耶は、背の低い卓の上でノートパソコンを開き、首を傾げたり眉間に皺を寄
せたりしている。今の幽霊は機械もいじるのか。すごいな。
 はじめのうちは正座をしていたのだが、力が抜けてきたのだろう。足を崩して頬杖をつ
いている。ワンピースの裾から見える足は生白く、不健康そうだった。陽だまり色で、胸
に青い花のワンポイントがある健康的なワンピースとは対極的で、しっかりとご飯を食べ
ているのか不安になってくる。ここまで考え、麻耶が幽霊であることを思い出し、つい嘆
息した。
 気を取り直し、ノートパソコンの前で生真面目な顔をした麻耶に話しかける。
「なにやってるんだ?」
 卓を挟んだ向こう側にいる麻耶は、画面から目を離し、僕に視線を移す。言おうかどう
か悩んでいるようで、うーん、と小さく唸った。
 外から聞こえるセミの声をぼんやりと聞きながら、麻耶の反応を待つ。
 麻耶はやっと決意したらしく、薄く色づいた唇を開いた。
「・・・・・・小説、書いてるの」
「小説?」
「うん・・・・・・慎太郎さんの真似」
 麻耶の言うとおり、僕は小説を書いていた。昔から物語が好きで、気がついたら自分で
も書くようになっていた。それは趣味に留まるものだったが、自分でも意外と上手いほう
だと思っている。小さい頃から僕が小説を書くのを見てきたからだろうか。自分の小説を
書く姿が誰かに影響を及ぼしているというのは、なるほど、悪くない。
「僕も見てもいいのか?」
「いいけど・・・・・・慎太郎さんみたいに上手くないから、もっと上手くなってから見せる」
「そうか」
 麻耶はむっすりとした顔をしたまま、再び執筆に勤しんだ。僕はその様子を呆けて眺め
ている。文章を生み出すのは難しいようだが、執筆をしている麻耶は生き生きとしていた。
少しでも麻耶の苦しみを解消できているのなら、それでいい。
 暫くして、画面から顔を背けた麻耶は、怠けている僕に提案した。
「慎太郎さん、外に行こう」
「小説はいいのか?」
「うん。気分転換。ずっと小説ばかりだと疲れちゃう」
「そうだな」
 そこで僕はある人物のことを思い出した。その人物について麻耶に尋ねてみる。
「そういえば、おばあさんは?」
「友達と泊まりででかけてくるって。明日には帰ってくるよ。ついでに、お父さんとお母
さんも明日遊びにくるみたい」
 おばあさん・・・・・・つまり僕の母は、今はこの家にいないようだった。兄とお義姉さんも
明日くるのか。楽しみだなあ。
 それにしても自分よりも幽霊の麻耶のほうがこの家の人について知っているとは、僕は
なんという体たらくを晒しているのだろう。僕は少し恥ずかしくなり、頭を掻いた。
「ははは。麻耶はしっかり者だなあ」
 それを聞いて、麻耶は口角を上げて腰に手をあてた。



 麻耶と僕はアスファルトが蒸れる世界を歩いていた。
 電車で約十分。近くにある街は盆休みと重なったのか人が多い。しかし浮ついた気配は
なく、落ち着いた活気を含んでいた。
 日差しは強く、じりじりと肌を焦がしていく。日焼け止めを塗ってきて正解だった。目
も潰れてしまいそうな太陽の光が、僕達の後ろに壮大な影をつくる。
 麦わら帽子を目深に被り、顔に影を落としている麻耶は、隣で歩いている僕に提案した。
「慎太郎さん、あそこ行こうよ」
 あそこ。
 多分麻耶は、あの場所のことを言っているのだろう。
 車通りの多い街路を抜け、住宅地に差し掛かる手前に、その場所はあった。

 簡素なつくりの、公園。

 滑り台とブランコ、砂場などがあるが、全体は決して広くなく、どこにでもありそうな
簡単な公園だった。麻耶が生きていた頃、よくここに連れてきたものだ。
 そしてここが、麻耶が亡くなった場所でもあった。
 麻耶はどんな心持ちでここにきたのだろう。僕は心底苦しかった。彼女を守れなかった
僕は、麻耶に恨まれていても仕方がない。ここで言及されるのだろうか。あの日のことを。
「うわあ、懐かしい」
 そんな僕の気持ちとは裏腹に、彼女の声はぽんぽんと飛び跳ねていた。
「よくここで遊んだね。慎太郎さん」
「あ、ああ・・・・・・」
 僕は笑いかけようとして、失敗した。唇が変な方向に曲がってしまった。だって、そう
だろう? 彼女はここで消えてしまったのだから。
 蜃気楼のように麻耶のワンピースが揺らぐ。僕を見た麻耶の表情は明るく、しかし寂し
げだった。
「ここが慎太郎さんと別れた場所。一回慎太郎さんと来てみたかったの」
 静かな口調で麻耶は言う。
「本当にごめんなさい」
 凜とした声が、僕の耳に響いた。
「あのとき、私が手を離さなければ・・・・・・」
「いいんだ。麻耶」
 自分の罪を告白するように、震えている彼女の声を制した。麻耶の顔から明るさが抜け、
麦わら帽子の影が濃く落ちている。俯きがちの麻耶に言い聞かすように、僕は強めの口調
で言った。
「いいんだ」
 それでもワンピースの裾を強く握り締め、動かない麻耶に、僕は笑いかける。麻耶の肩
に手を置いた。
「麻耶が謝ることじゃない。悪いのは僕なんだから」
「そんなことない!」
 僕の言葉よりもずっと強く、麻耶は断言した。こうなってしまうと、麻耶は頑固だ。
僕は話を切り替えた。
「・・・・・・麻耶、覚えているかい? この公園で遊んだときのこと」
「・・・・・・?」
「砂でお城を作ろうとしたのだけど、麻耶も僕も手先が不器用で、不思議な形のオブジェ
になっちゃったよね」
「・・・・・・ねずみとコタツが合体したやつ?」
「そうそう。いやー、あれは傑作だった。つくろうと思ってつくれるものじゃないよ」
 麻耶は思い出したのか、小さくふふっ、と笑う。そして強気な瞳で言い放った。
「・・・・・・つくる?」
「何言ってるの。そんな可愛い格好しているのに汚したら大変じゃないか」
「これくらいなんともないよ」
「僕が気にするんだよ」
 麻耶は頬をぷくーと膨らませたが、どことなく楽しそうだった。彼女の機嫌は良くなっ
たみたいだ。麻耶は容姿が特別優れているわけではなく、美人とは程遠いが、僕にとって
は可愛らしい姪だった。それに麻耶は、化粧はしないが睫毛は長い。長く、染めていない
髪の毛も彼女の生真面目さが溢れていて、僕は好きだった。
 そんな麻耶は、僕に背を向け、道路のほうを眺めやる。
「ねえ、慎太郎さん」
「なんだい?」
 麻耶の神妙な声に僕は耳を傾けた。彼女は背に手を回し、指をいじっている。何か言い
づらいことでもあるのだろうか。
「覚えてる? あのとき私が言ったこと・・・・・・」
 僕はその言葉にぎくりとした。多分麻耶は、あのとき手を離したきっかけとなった言葉
のことを言っているのだろう。
 あのとき僕と麻耶は手を繋いで帰ろうとしていた。その矢先のことだった。
 まだ幼かった彼女は、このどうしようもない僕に告白してきたのだ。
 好きだと、僕のことを男の人として見ていると、彼女は真剣な顔つきで言ったのだった。
 僕はなんと答えてやればいいのか分からず、言葉を濁した。はっきりしない僕に業を煮
やした麻耶は怒り、僕の手を振り切って道路に飛び出したのだった。
 今思えばなんともくだらない原因だ。
 僕は彼女の想いを無碍にするような態度をとったのだ。彼女はあんなにも真面目に僕と
向き合ったのに、僕はそれをはぐらかしてしまった。
 僕は未だにそれを悔いている。しかし、僕ははっきりと彼女には言えない。
 ほら、今も。
 彼女の恥ずかしがっている様子とは対照的に、僕は曖昧に笑うことしかできなかった。



 その後、家に帰った僕たちは二人しかいない家でのんびりとくつろいでいた。
 僕が夏の暑さでのぼせそうになっている中、麻耶は庭に出て畑に水を撒いている。きゅ
うりとなす、すいかが実っている。瑞々しい野菜たちに水滴がくっついて離れない。僕は
眩しさに目を細めた。
 麻耶はホースの出口を指で潰し、満遍なく畑に水を撒いていた。すると、突然僕のほう
を振り向き、口を開いた。
「そういえば、今年も花火大会があるんだって」
 花火大会は十三日と十六日に毎年この田舎で行われている。遠目だが、夜空に舞う花火
はこの庭からでも見えた。この時期になると麻耶と二人並んで花火を眺めるのだ。
「そうか。今年もやるのか」
「うん。でも今年で終わりらしいよ。来年からはもうやらないって」
 麻耶は語尾を弱めてそう言った。その言い方がなんだか拗ねているみたいで、僕は少し
笑ってしまった。
「もう、何笑ってるの」
「ごめん。つい」
 麻耶は頬を膨らまし、暑さで顔を赤くしていた。そしてしばらく僕を見つめた後、そっ
ぽを向いて呟いた。
「今年でもう終わりなんだよね」
 麻耶の声は切実で、どことなく寂しそうだった。しかし、その声色に意志の強さを感じ
た。彼女の生真面目さが白い横顔に現れている。麦わら帽子の影に隠れた瞳が凜と輝いて
いた。彼女は何を決意しているのか、僕には分からない。僕に出来るのは、手元が覚束な
くなった麻耶をたしなめることくらいだ。
「麻耶、水出しっぱなし」
「あっ、いけない」
 水を止めずに流したままにしておいたため、麻耶の足元には大きな水溜りができていた。
地面が大きく削れ、水面には夏の青空が映っている。麻耶は慌てて水を止めに行った。そ
んなに慌てると明るい色のワンピースが汚れるぞと思いながら、彼女の姿を目で追いかけ
た。

 走っても走っても彼女には追いつけそうにない。
 彼女がトラックの前に飛び込んだときも、追いつけなかった。

「慎太郎さん」
 麻耶に呼びかけられて僕ははっ、と目を覚ますような感覚に陥った。縁側に座っていた
僕の目の前に、麻耶が立っている。ホースから流れ出る水はもう止められていた。
「どうしたの、ぼーっとして」
 僕は思考の波に溺れかけていたのをはぐらかすために、苦く笑った。
「ははは、暑さにやられたかな」
 そんな僕に麻耶は仕方ないなというように穏やかに笑う。細かな息遣いが聞こえてきそ
うだった。
「この家から花火が見れるだろうから、また一緒に見ようよ」
「そうだな」
 夏の一種の寂しさを含ませた蝉の声が、遠くで聞こえていた。
 今年で花火は、もう終わる。



 深い闇が広がる空に、花火が打ち上げられた。
 青色、桃色、橙色・・・・・・色とりどりの閃光が咲き乱れ、夜空を鮮やかに染める。僕と麻
耶は縁側に二人で座り、花火が打ちあがる光景を見つめていた。
 夏といえども、夜になると若干涼しくなる。過ごしやすい気温に肌を晒し、息を吸い込
むと、爽涼とした風が肺を満たしていった。風は穏やかで、空に花開く花火を揺るがそう
とはしていない。
 庭先から見えるその花火は、ここからだと少し小さい。それでも麻耶は瞳を花火の色彩
に輝かせていた。
 どおん、どおん
 遠方から聞こえる、花火が空へ高々と舞う音。
 眺めていると、時間などあっという間に過ぎてしまう。
 はじめの花火が打ち上げられてから四十分ほど経っただろうか。そろそろ花火も終わり
に近づいてくる。
今年の夏も、もう終わる。亡霊の少女と過ごす夏が。
 明日からの生活に彼女はいない。また一年後、彼女は現れてくれるのだろうか。決して
約束されてはいない未来に、僕は想いを馳せた。
 来年からもう二人で花火は見られないのだ。
 用意された麦茶を飲みながら思考に耽っていると、麻耶は立ち上がり、花火のほうに向
かって歩き始めた。座敷から覗く電気の灯りに彼女の背が少しだけ照らされる。血色の悪
い腕がワンピースの袖から伸びていた。その腕を背中へ回し、手を組む。
 どこか遠くへ行きそうな麻耶に手を伸ばしかけた、そのとき。
「慎太郎さん」
 透き通った声が、僕の名前を呼んだ。
 振り返った麻耶が、真っ直ぐな目を僕に向けて、静かに言葉を紡ぐ。
「私、社会に出られるようになったよ」
 僕は無言で、麻耶を見やる。

「だから——もう心配しなくていいよ」


 亡霊は麻耶ではなく、僕だった。

 僕は当時九歳だった麻耶をかばって死んだのだった。トラックに轢かれそうになった彼
女の腕を掴んで、その勢いで僕は道路に飛び出してしまった。僕は追いつけた。逃げ水を
捕まえられたのだ。
「——そうか」
喉から出た声は、思いのほか優しかった。

麻耶が二十一歳になったとき、彼女は病気になった。僕と同じ、心の病気だ。彼女が大
学を休んでこの家に療養しに訪れたときには、もう衰弱しきっていた。心も、体も。病に
臥せった体は疲労しやすく、すぐには彼女を立ち直らせてはくれなかった。僕はその姿を
ずっと見ていた。あの仏壇から、ずっと。一緒に遊んだ頃とは違う、覇気の無い彼女の姿
は、僕の心を苛んだ。なんとか彼女の力になってあげられないだろうか。同じ病気であっ
た、この僕が。
僕も生前、この病に苦しめられていた。こんな病気になってしまって、なんて親不孝な
のだろうと、自分を責め続けた。もう普通の人のようには社会にいられないだろう。不安
もあった。その心を癒してくれたのは、長期の休みになると必ず遊びにきてくれる彼女だ
ったのだ。
彼女は僕を外へ連れ出した。僕の小説を少しだけ読んで、半分も内容を理解できないく
せに「本が書けるなんてすごいね」なんて言って笑いかけてくれた。一緒に夏野菜の料理
を食べた。僕の母、つまり彼女の祖母にお礼の手紙を送ろうと提案してくれた。朝起きら
れない僕を起こしてくれた。花火の終わり頃になると「また一緒に見ようね」と言ってく
れた。
彼女と僕ははしゃぐような人間ではなく、一緒にいても無言が多かったが、僕にとって
はいごこちが良かった。彼女から貰った、きらきらした気持ちが僕の宝物だった。だから
なんとしても彼女に報いたかった。苦しんでいる彼女に、僕からあげられるものはないの
だろうかと思っていた。
その気持ちが神様に通じたのか、奇跡が起こった。八月十三日だけ、彼女の目の前に現
れることができたのだ。
一年目と二年目は、大学を休み、自分の家族のいる家ではなく、僕の母の家で療養生活
を送っていた彼女の目の前に現れた。彼女は驚いていたが、僕が、自分が死んだことを知
らない態でいたら、黙って僕の存在を受け入れてくれた。彼女は毎日泣いてばかりいたか
ら、目が腫れぼったかった。僕の前でもさめざめと泣き始める彼女の背中を擦った。
三年目と四年目、彼女は大学に行き始めた。長期の休みになると遊びにくるため、ちょ
うど良く彼女の目の前に現れることができた。彼女は日々の生活に不安があり、僕といる
ときも暗い顔をしていた。そして、たまに小声で僕に言うのだ。「ごめんなさい」と。
多分彼女は、僕が自分のせいで亡くなったのを謝りたかったのだ。しかし僕が、死んで
いることを知らないようでいるものだから、それが言えなかったのだ。彼女には悪いこと
をしたと思うが、別に謝られるほどのことでもない。反対に彼女をかばえてよかったと思
っているくらいだ。彼女が後ろめたくする必要は全然ないのだ。
一年のたった一日だけでどのくらい彼女の支えになれるのだろうか。僕は大した効果も
期待せず、彼女の姿を見て一喜一憂する日々だった。今日は元気そうだな。今日は調子悪
そうだな。普段は彼女の目に僕など映らないから、何もできないのがもどかしかった。
 そして、五年目の今日、八月十三日。
 麻耶は決意した瞳で、僕を見つめている。
 花火を背にした彼女に倣い、僕も立ち上がった。ゆったりとした足並みで麻耶に近づく。
 今年はもうさよならだ。いや、彼女が決意したということは、もうしばらく会えなくな
るだろう。一年ではない、その先もずっと、僕は彼女に会えないだろう。
 寂しいとも、悲しいとも言える感情はあった。しかし、雲間が晴れたかのような清々し
い気持ちも、確かにあった。
 彼女はこれから苦しい想いをするだろう。社会は、弱い人間には厳しい。彼女はその荒
波にもまれながら生きていかなくてはならない。
 だから、こんな僕のことをいつまでも考えていたら駄目なのだ。
 生きていくには、ずっと先を見据えなくては。
 それはずっと苦しくて、息なんてできやしなくて、いつだって自分の影と戦い続けてい
なくてはいけなくて。
 しかし僕は、君と会えて良かったと思える。
 君もそう思ってくれていたらいい。
「慎太郎さん、私——」
 麻耶は何かを言おうとして、やめた。口を強く引き結んでいる。まるで泣くのを堪える
かのようだ。
 思わず笑みが零れた。僕は彼女に向けて不誠実な言葉など吐けない。僕は少し照れくさ
くなり、自分の頬を指で引っかいた。
「まあ、叔父さん孝行してくれ」
 そうして麻耶の華奢な肩をぽんと叩く。麻耶は何度も頷いた。その姿を見て、僕は胸を
撫で下ろす。
「じゃあな」
 不思議と悲しくは無かった。
 自分の意識が透けていく感覚に身を委ねた。僕は、消えるのか。何かを残せていたら、
それでいい。花火の音が遠くで聞こえた。夜は深まっていく。それでも彼女は太陽のよう
に眩い。僕の人生は幸せとは言い難いものだったが、この宝箱を胸の内に宿せたのである
から、僕は世界一の幸福者であるのだった。
 願わくば、少女もそうでありますように。

 麻耶が幸せでありますように。


——

 慎太郎さんが、夜の闇に消えてなくなった。
 花火はもうずっと前に終わり、音も聞こえない。座敷から漏れる無機質な明かりが、私
の足元を照らしていた。
 耳に響くのは蝉の声。
 叔父の、あの優しい声は、もう聞こえない。
「う、わああああーーーーーー!」
 私は大声で泣いた。こんなことは大人になって初めてだった。静かにひっそりと泣くこ
とはあったが、大声をあげて泣くなんてことはなかった。
 もう、あの人には会えない。
 私の手を優しく握ってくれるあの人は、もういない。
 それは私が決めたことだった。もうあの人には心配をかけたくなかった。いつまでも甘
えていては駄目だという気持ちもあった。別れてから深い悲しみがやってくるであろうこ
とは、予測していた。
 それでも、こんなに悲しいのだ。
 堰き止められないその悲しみは、目の奥から湧き上がってきた。止められず、そのまま
決壊した。強く目元を拭い、それでも溢れ出す涙を放置して、家の中に入ろうとした。
 ふと、涙に濡れた目で、夜空を仰いだ。

 叔父との思い出が詰まった花火は、もう上がらない。
 それでも確かに、あの人と一緒にいた時間は、幸せだった。

 私は鼻を鳴らして、家の中に入った。
 慎太郎さんが私の背中を押してくれた気がした。
 



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  ※コメントタイトルでネタバレしないでください。
  ※コメント本文ネタバレ可。
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拝読しました。

事故に至るまでのいきさつがもう、運命のいたずらとでも言うのか、やりきれない、そして騙された。だまされたぁぁぁっ!
全てがひっくり返された時、叔父の視点で語られる穏やかな8月13日がまた違った表情を見せてくれて、感情がぶわっとこみあげてきました。
お互いがお互いを思いやるほどにこれは切ないですね。でも寂しさと悲しみだけで終わらなくてよかった。
決して結ばれることはない二人の別れに添えられた花火が儚くも力強くて、麻耶の芯の強さを感じました。

拝読いたしました

8月13日、仏壇の前で目覚め、毎年成長する幽霊――もしかして、死者の逆転?とは思いましたが……
何とも悲しい、君と僕の関係ですねぇ……
それでもその関係は、毎年上がっていた花火のように、美しく、それでいて、一生の中では一瞬であろうとも、激しく強い関係――特別な関係。それを強さとして内に秘めて、生きるということに向け、前向きに踏み出す。その麻耶の決意がしっかりと感じられました。

読ませていただきました。

紅月赤哉です。作品、読ませていただきました。

幽霊と生者の話。どちらが、幽霊なのかなって読んでいたのですが、もうどちらが幽霊だとしても切ないことにしかならないですね!
花火の終わりに社会に出ていく姪っ子を見る叔父の目線。

きっと泣いてしまうでしょうし、くじけそうになるでしょうけどきっと大丈夫と未来を思いつつ読み終えた後の余韻に浸ります。

素敵な作品、ありがとうございました。

拝読致しました!

 切なくも優しいお話でした。彼女を励まし見守り続ける「僕」も優しければ、幽霊である「僕」に真実を告げることなく、八月十三日を共に過ごし続ける彼女も優しい。お互いがお互いに、相手のおかげで「自分は幸せだ」と思っていることが、とても愛おしい関係に感じられました。

 それにしても、彼女がノートパソコンを弄りだした時には、「いや、それもう幽霊じゃないのでは?」と胸中でツッコミまでしていながら、そのまま中盤まで真相に気付かなかったとは……見事に引っかかった自分が悔しいです(笑)

拝読いたしました

小林さん、こんにちは。

お話の途中から、おや?と思わされる点がポツポツと現れ、どんでん返しまでの流れが良いです。
特に、冒頭の「8月13日にだけ会える」という括りだとどちらとも取れるところから始まっているのも、大変上手いと思いました。
慎太郎さんに憧れて文章を書き始める麻耶さんが可愛く、若いながらも良い叔父さんであろうとする慎太郎さんに暖かみを感じました。

「君と僕の八月十三日」拝読しました。

はじめまして。「君と僕の八月十三日」拝読しました。

いやもう…切ないお話ですねこれは…。
死者と生者では結ばれることはないとわかっていても、ラストの麻耶ちゃんの選択はやはり辛くて苦しかったです。でも麻耶ちゃん自身が自覚している通り、悲しいのも、辛いのも、苦しいのもきっとこれからですよね。
そういう時に麻耶ちゃんを支えてくれるのが慎太郎さんとの幸せな記憶であり、もう二度と会えない慎太郎さんそのものなんだろうと思います。

それにしても慎太郎さん、優しくて大人ですね。
麻耶ちゃんに対する態度が温かさと愛情に満ち溢れていて、それでいて大人らしく身を引くべきところもきちんと弁えている。麻耶ちゃんが十六年も想い続けていた(のでしょう、恐らく)理由もわかるというものです。
別れ際に「不誠実な言葉」を口にしないように…と自分を律するところも、慎太郎さん、本当にかっこよくて素敵です。

拝読いたしました。

お盆は死者が生者の元へ帰り、死と生との境が曖昧になる時期ですね。あまりに自然に接していると、死者も自分の死を忘れてしまうのかもしれません。心の病で苦悩した者同士の互いに労り合う静かな時間が、その境にふさわしく思いました。
ただ、主人公の姪っ子を想う気持ちが切々と伝わった分、最後の姪っ子からの視点文章は屋上屋を架した感があるような気がしました。

拝読いたしました。

小林さん、初めまして!

いやいやいやいや。もうなんというか悲しみの予感がひしひしとやってくるお話に、読みながら思わず眉間にしわが(ほめ言葉です)
毎年お盆に現れる女の子とそれを迎える僕。
ああ。女の子が亡くなって毎年会いに来てるんだなーって思っていたら、ん? 女の子は年齢を重ねる? それってもしかして、もしかしてパターンじゃぁ……。
と読み進めて、パソコン触ってるあたりで「ああ」と気づき、もうそこからは僕の一人称が切なくて切なくて。

心を病んでしまった二人がお互いのことを大切に想うが故の毎年の逢瀬。
ずっと続いてほしいと願うけれど、でもそれじゃ彼女は先に進めないわけで。
でも、彼女が先に進むためには叔父さんとはもう会わないという選択肢が必要なわけで。
あああ! もう、なんという悲しい選択! でも、最後希望が見えるのは叔父さんがどうしようもなく優しいからなんだろうなぁ。
成仏(でいいのかな?)する最後まで、彼女の幸せを願う叔父さんは本当に優しすぎて泣けてくる。

そして、その二人の最期に合わせる花火。この小道具がすっごくいいなぁ、と。
儚い花火が今年で終わってしまう、それに合わせて本当のことを打ち明けるって、もうすっごく情景がいい。

はぁ。よかった。優しい物語、ありがとうございました。

感想ありがとうございます。

こんにちは。小林海里です。
私の稚拙な文章を読み、しかも感想をくださりありがとうございます。
嬉しさのあまりまともな言葉が出てこないかもしれませんが、この場を借りて感想の返事をしたいと思います。

>和さん
和さん、感想をくださってありがとうございます。
うまく騙せたようで、少し嬉しいです(笑)。
ただ悲しいだけの話にはしたくなかったので、そうならないようにしました。
麻耶の強さは、生きる強さというよりは、苦しいけれどそれでも生きていくことを知った強さといいますか・・・。私には麻耶の強さがさっぱり分かりませんが(笑)、和さんのコメントで、芯の強さとはなんなのだろうなあと考えさせられました。ありがとうございました。

>猫さん
猫さん、感想をくださりありがとうございます。
死者の逆転に気づいてもらえたようでよかったです。
慎太郎と麻耶の関係は、生きているときも、そうでないときも短いものだと思いますが、色濃いのであればいいのかなとも思ったり。麻耶の決意を感じ取っていただいて嬉しいです。慎太郎との思い出が、麻耶が生きているということの証であればいいですね。
ありがとうございました。

>紅月赤哉さん
紅月赤哉さん、感想をくださりありがとうございます。
泣きながらも、ちゃんと乗り越えていってくれたらいいのですが・・・なんて言っていたらいつまでも慎太郎は成仏できませんね(笑)。
躓いて転んだ人がいたら、誰かがその人の背中を押したらいいと思うのです。慎太郎と麻耶のような関係性は、きっと私が求めている関係性なのかもしれません。
ありがとうございました。

>秋待諷月さん
秋待諷月さん、感想をくださりありがとうございます。
二人の優しさが前面に出るように書きました。しかし、優しさというのはなんとも言えない言葉だったりもします。もしかすると二人とも、離れたくなくて言い出せなかっただけなのかもしれません。優柔不断だったところもあるかと思います。実際はどうなのか分かりませんが。
ただ、二人が一緒にいた時間は確かに幸せだったと思います。
ノートパソコンのところは私も「いやいやいや(笑)」と思って書きました。引っ掛かってくれて嬉しいです。にやりとします。
ありがとうございました。

>げこさん
げこさん、感想をくださりありがとうございます。
伏線を誰から見ても分かりやすく、意図を汲んでもらえるようにしたかった・・・という思いがありました。
上手いと言ってくださりありがとうございます・・・。表現をぼやかすのは少し難しかったです。
麻耶は慎太郎から見れば可愛く、慎太郎は麻耶から見れば暖かい人柄なので、そう言ってもらえて嬉しいです。
ありがとうございました。

>森崎緩さん
森崎緩さん、感想をくださりありがとうございます。
ただでさえ苦しい想いをしてきているだろうけど、苦しくなるのは寧ろこれからなんですよね・・・きっと。
でもここで慎太郎と別れなければ、彼女は前に進めないのだと思いますね。麻耶には慎太郎のことをたまに思い出しながら頑張ってほしいです。
慎太郎は、優しい人間に見えましたか?そうだとしたらとても嬉しいですね。
彼はその優しさ故に潰れてしまった人間で、大人なのかと聞かれたら首を傾げるところがあるかもしれませんが(私が捻くれているだけですが)、やはりそこが彼の長所なのでしょうね。私も書いていくうちに愛着がわきました。
ありがとうございました。

>ヒラKさん
ヒラKさん、感想をくださりありがとうございます。
恥ずかしい話になりますが、死と生の境についてあまり考察せずに書いてしまいました。なので矛盾がたくさんあると思いますね。
ただ、人を支えるというのは難しいことだと思ったので、麻耶の話を理解できる、支えたいという気持ちがある、そんな人を書きたいと感じました。
なるほど・・・言い訳になってしまいますが、小説を書くと最後がいつも薄くなってしまうので、意識しすぎてしまったのかもしれません。今後の参考にします。
指摘など、ありがとうございました。

>真冬さん
真冬さん、感想をくださりありがとうございます。
眉間に皺に思わず笑ってしまいました!
伏線に気づいてもらえて嬉しいです。かなり分かりやすく書こうと意識していましたので、にやりとします。
ここで別れないと麻耶はいつまでも前に進めませんからね。別れは辛いことですが、ただ辛いだけではないと思うので、二人が納得する形で別れられたらいいなと思いました。
花火は・・・なぜ私は花火の描写を入れたのでしょうか?(どういうことだ)今思うと不思議ですが、書いている間は「ここで花火を打ち上げる」という明確な意思を持って書いていましたね。
優しい物語と言ってくださり、ありがとうございます。ちょうど優しい話が書きたかったのです。
ありがとうございました。


以上で感想への返信は終わりです。
他人事のように書いてしまいましたが、きっと私にはこの二人の話は他人事なんだろうなあと思い少し切なくなりました(笑).。この二人の話はこの二人の仲で完結しているのだろうと思います。
皆さん感想をくださりありがとうございました。
引き続き、いろんな人に読んでいただけたら幸いです。

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