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逃げ水の中に

作:天菜 真祭 HP:Sequence お話のカケラ+
分量:22枚  使用お題:ライフセーバーの肉体、溺死者、暑さを凌ぐ、麦茶、お盆、親戚の家、逃げ水を追い駆ける



 砂時計みたいな姿をした、少しずつ魔法の砂を燃やす仕組みのカンテラを両手持ちに吊して、今夜、最後のお客様を桟橋で待っていた。
 オアシス湖を渡る夜風は思いの外に冷たくって、もう息が白い。上限の月が西の空に低く蒼く、砂漠の地平線に、半分の月が還ろうとしていた。

 今夜は、もう、誰も来ないかな…… そう、思って、お店の看板を片付けてようとした。

 どぼん……

 オアシス湖に誰か落ちた。湖に落ちたってことは、きっと、初めていらっしゃるお客様だと思った。船を出して迎えにあがると、スーツ姿のサラリーマン風の男性だった。
「いらっしゃいませ」
「……! ……?」
 ファンタジー小説に出てきそうな木製のゴンドラを、どこかエスニックぽい衣装にエプロンの私が、にっこり笑顔で漕いでいるんだから……たぶん、普通、驚くはず。
 それも、初心者さんだと——気がついたら突然に砂漠の真ん中に在るオアシスに——って、感覚のはず。しかも、ずぶ濡れ。言葉がすぐに出なくっても無理はないよね。

 ——それに、この場所に来ちゃったってことは、きっと、そういう事情があることだから。

 コーヒーカップに近い形状の器を選んで、サイフォンで淹れたコーヒーに似た温かい飲料を注いだ。
「美味いね、これは……っ!」
 スーツを脱いで、タオルで濡れたワイシャツを拭いていた男性は、コーヒーだと思ってひとくち含んだとたん、驚いたように声をあげた。
「《カウンタ・クロックワイズ》って名前の異世界の時計草の実を炒った飲み物です」
 時計草って種では……? という点は、疑問にはならなかった。じっくり炒ったそれは、水色をしていることを除いて、コーヒー豆に似ていた。それにね、この実は煮出しても色が付かないから、お客様にお出ししたカップには、微量のカラメルと色付け魔法の粉を混ぜているけど。
 数粒だけ、炒る前の実をお皿に乗せて、お見せした。
「へえ、きれいな赤い実だね」
 私には淡い水色に見える実を、この男性は深紅と答えた。だから、お代わりを大きめのマグカップにたっぷり注ぎ入れた。
「いや、その……こんな深夜だから、これ以上のカフェインはご遠慮したいのだが……」
 当惑気味の男性に、私は言葉を選んだ。
「この《カウンタ・クロックワイズ》の実にはカフェインは含まれていません。代わりに、ほんの少しだけ、時間を戻せる成分が含まれています」
 一粒で約三分くらい戻せる。炒る前の実が赤く見えるのなら、きっと、二時間程度、この人は時間を必要としているはず。
 だから、もう一度、深呼吸してから、尋ねた。
「二時間くらい前に、何か、大変な出来事がありましたよね?」
 核心を突く質問は時に人を傷つけてしまう。だから、慎重に……ね。
 男性は、深い深いため息の後、事情を話してくれた。この方、とある中堅企業の本社でシステム管理をしていたSEさんなのだそう。……えっと、正確には派遣さんらしい。
「……私は、疲れ切っていたんです」
 と話すには……バックアップ用のプログラムを間違えて、システムを飛ばしちゃったらしい。無意識のうちに、タイムスタンプが古いファイルをリストアしてた……とか。
 たっぷりマグカップを飲み干した男性は、まだ、この時計草の実がピンク色に見えると答えた。
「いつも、こんな深夜まで、お仕事をなさって……」
 追加の実を挽き、もう一度、サイフォンに火を点した。
「……夜間バッチが終わらないんです」
 システム構成に無理があるとか、エラーが頻発するとか……「社内には派遣SEの言葉を聞いてくれる人なんていない」と嘆く男性が不憫に思えた。だから、専門用語は、私にはちょっと無理っぽいけど、良い聞き役になろうと頑張った。
「小手先の最適化では焼け石に水で…… 《昨夜》が終わらず、本当に、朝が来てしまったんです」
 つまり、その日入った注文データを深夜に集中処理するプログラム処理が全部終わらないまま、翌朝が来てしまった。生地の仕込みができないまま、開店時間を迎えたパン屋さんと同じ状態ね。お店を開けることができない。
「それで——障害対応で連続徹夜作業の果てに、やってしまった」
 ため息ばかりの男性の前に、ブラックコーヒーそっくりのマグカップを差し出して、微笑して見せた。
「さあ、お代わり、どうぞ。濃いめだから、これで、必要な時間を戻せるはずですよ」
 すっかり透明水色になった時計草の実を不思議そうにしげしげと眺めて、男性はつぶやいた。
「本当に、これで、私は《帰る》ことができるのですか……」
 数時間前に引き起こした失敗。
 そして、この男性は絶望と孤独のあまり衝動的に取り返しの付かない行いをした。社屋の屋上、フェンスを乗り越えて空へ……本来ならば、この人は天国に行ってしまったはず。
 だけど……落ちた場所は、このオアシス湖だった。
「運が良かったんですよ、きっと」
 私は曖昧に笑って見せた。男性はまだ、空っぽになったマグカップを見つめていた。時間を切望していた人にとって、この時計草の実から煮出したコーヒーもどきは、この上もなく贅沢な味わいに感じるらしいの。
「お世辞抜きに、このコーヒーは美味い。また、来ることはできるだろうか?」
 憑き物が落ちたみたいに穏やかな表情が、嬉しくて、少しだけ寂しかった。こんな顔をできる人は、もう、ここへは来ない。この方は、ほんの少しだけ、意地悪な時間に躓いただけの一見さんだと解った。
「この世界の物をたっぷり飲んでしまいましたら、もう、あんなコトをなさらなくっても、これを飲みたいと、本当に心から願えば……」
 私は、営業スマイルでにっこり笑った。この男性ともう少しお話したかったけど、たぶん、もう会えない。でも、その方が、きっと、幸せだから。



 満月がぽっかり天窓の真上に浮いていた。
 遠い異世界で採れた竜の鱗から削り出したとかいうグラスを磨きながら、今夜も眠れないから、お客様が来るのを待っていた。

 ぽちゃん……

 オアシス湖の方で小さめの水音が弾けた。
 ゴンドラを漕いで迎えに行くと、アラビアンナイトみたいな衣装の少年が、差し出した櫂を伝いあがって来た。浅黒い肌色、額や頬に不可思議な魔法の文様を塗っていた。
 その小さな男の子は、私をかなり警戒した様子で見上げていた。

 ——言葉、通じるかなあ?

 身のこなしの軽さと、衣装、何よりも目線の厳しさから、どこか、異世界の少年兵と判断した。
 ま、いいっか。このオアシス湖の世界は、変に捻れていて、どういう訳が異世界の人たちとも言葉が通じるの。夢の中にいるのと同じと言えば、解ってもらえるかなぁ。私、英文法とか苦手だけど、このオアシス湖のお店にいる時だけは、二十カ国語くらい平気でいける。

 少年が、何かつぶやいた。とたんに、彼の話言葉が、何か、解っちゃった。リシルペル世界の北イルムテム地方の言葉だった。音素数が多くって、母音もたくさんあるから、舌っ足らずな私にはキツいかも。魔法のように言葉が解っても、いざ、しゃべるとなると舌がもつれるの。きっと、テレビのお笑い番組に出て来そうな可笑しな外国人みたいになっていたはず。
「風邪引いちゃうよ、さあ、こっちにおいで。何か、暖かい物を出してあげる……」

 ぱんっ!

 先に立ってお店に向けて桟橋を歩き始めたとたんだった。
 乾いた破裂音が背中で、ひとつした。あれ? と思った。何が起きたのかは、すぐに解った。その理由もすぐに気づいた。
 だから、振り向いたときは、できるだけ優しく笑った。
「心配しないで。ここは、絶対に大丈夫だから……ね」
 ここは、逃げ水の中に在るオアシスの湖畔にできた小さな喫茶店だった。絶対に、誰も逃げ水には追い付けない。だから、嫌な人は誰もここへ来ることはできない。
 だから、少年をきゅっと抱っこして、もう一度、大丈夫だよっと耳たぶにささやいた。
 豆鉄砲に撃たれた鳩にみたいになった少年の手を取って、私を撃った真銀製の銃弾を返した。小さな銀色の表面にびっしり退魔呪文を刻印してあった。私は、魔物じゃないもの。こんなの平気。それに、これは精巧な工芸品で高価な物だしね。

 結局、少年は、私のお店でホットケーキをたっぷり食べてくれた。有刺鉄線みたいな表情が、コーヒーフロートに乗ったアイスクリームのように溶けた。
 あっ、コーヒーフロートは比喩表現で、少年にお出しした飲み物はコーヒーじゃなくって、ラムネだけど。
 ……ひとつだけ、心から忘れたいと願う嫌な記憶を、ひとつだけだけど消してしまう魔法の泡を混ぜたラムネを、少年は幸せそうに飲み干した。



 三日月が夕方の空に輝いていた。やっぱり、砂漠のオアシスには三日月が一番似合うと思う。桟橋を歩いてお店に向かった。逃げ水の中のオアシスと現実を往復するのも慣れて、近頃はちゃんと桟橋の上に降りられるようになった。
 だけど、不意に気づいた。店先に出された黒板風の看板が書き換えられていた。

 ——あっ?

「店長っ! いらっしゃっていたんですか!」
 急いでガラス飾りの扉を抜けて店内に駆け込んだ。逆三角形体型の大柄な背中が見えた。
「会えて良かった……ギリギリってタイミングだ」
 店長の姿は、もう、薄く透け始めて、元の世界へ還ろうとしていた。
「《カウンタ・クロックワイズ》の実が減っていたから、一袋、追加しておいた。それと薄荷草は時間凍結魔法陣の中にしまうこと。零れてたぞ」
 ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。この大きな手が、私にとって一番に安心できる《場所》だった。だけど、ふいに、消えた。
 見上げると、大柄な店長の姿はもう空気に溶けて、消えていた。

 ……おつかれさまでした。

 ご自分の在るべき世界に帰って行った店長へ、聞こえないけど、ひとことつぶやいた。
 このオアシスカフェにあるお品書きは、全部、どこか遠い異世界から、店長さんが持ち込んだものなの。
 平和な世界にいる私には、まるでライフセーバーの肉体みたいに見えたけど…… どこか、すごく遠い異世界で戦争をしていた人らしい。だけど……
「馬鹿将軍閣下殿のご命令とやらでドンパチやるのに、うんざりしちまったんだ」
 とか、
「俺の天空船は、アイスクリーム冷蔵運搬船なんだ。空飛ぶ甘味処が本望。チョコレートパフェに埋もれるのが本懐。そいつが何で、呪符爆雷なんて汚いモノを積まなきゃならない」
 とか。見た目は鬼軍曹なのに、実は戦争が大嫌いで口を開くと文句だらけだった。
 戦争が始まって、天空船ごと徴用された。始めは艦隊の食料を運ぶ役目を渋々、引き受けていたらしいんだけど……
 偉い人の命令で食材を廃棄しろ。爆弾を積めといわれて……店長ってば、ぷっつんしてしまった。それで、ここへ来てしまったらしい。
 自爆するために用意した熱魔法爆雷の中身は、このお店の暖房や燃料に、満載していた食材はもちろん、このお店の倉庫にしまわれた。

 尊敬している方だけど、めったに会えない。魔法が使える方だけど、その魔法力をもっても、逃げ水の中に在るこのお店に来るのは、大変らしいの。
 だって、ほんの半年前に戦争が終わった。
 平和な世界に戻って、今頃は幸せを運んで天空の海を航海しているはず。だんだん、本来のアイスクリーム冷蔵運搬船のお仕事が上手くいくようになってきた……って、先週、会ったとき、話していた。
 居場所ができた人は、この逃げ水の中に在るオアシスには来ることができない。
 でも、それは、本当に良いことなんだよ。



 ここは……逃げ水の中にある時間が止まった世界。私たちの昔話でいうと、竜宮城が近いかな。色々な世界、あちこちの国や地域に、同様の隠れ里の存在を示唆するお伽噺や民話があるらしい。

 こういう世界のお約束は、ひとつ。
 この世界にある水や液体を飲んではいけない…… もしも、飲んでしまったら、元の場所へ帰れなくなる。

 ……私、たっぷり飲んじゃいました。

 最初にここへ来たとき、オアシス湖で溺れた。真面目に溺死者になる寸前まで、たっぷり。
 不格好にオアシス湖で溺れていたら、セーラー服の後ろ襟を掴まれて、魚介類みたいにゴンドラへ引き揚げられた。
 その後は……私がいつもしているのと同じにお店に案内された。出してもらった飲み物は、キンキンに冷えた麦茶だった。やっぱり日本人なら暑さを凌ぐには麦茶だと思う。
 この世界は本当に不思議な場所なの。ひとことしゃべっただけで、相手に好きな食べ物や飲み物、お気に入りの衣装や、夜抱いて眠るぬいぐるみのことまで解ってしまう。

 ——ここ、どこ? 学校のどこか……じゃないですよね?

 こんな感じで始まった何でもない会話が、いつしか大切な時間に変わった。答えが欲しいわけじゃなくって、ただお話しできる相手を求めていた。店長は、本当に聞き上手でおしゃべりが楽しい方だった。
「お盆に……親戚の家に遊びに来たとでも思って、ゆっくりしていけば良い」
 私が使う日本語の語彙に無理して合わせて、ちょっと変な外国人みたいに、ヒグマみたいに偉丈夫な店長が笑ってくれた。そんな優しい言葉が嬉しかった。だから、気が済むまでこのお店に留まって、お店を手伝った。

 そして、気がついたら——長い長いお店番をするようになったの。



 砂漠にのぼる月の満ち欠けが一巡したら、帰宅の時間になった。
「頑張れよ。頑張りすぎるなよ」
 店長の不思議な言葉に見送られて、私は空気に溶けた。

 そして……

 下校時間を過ぎた図書室は真っ暗だった。現実の世界は真っ暗だった。
 床に仰向けに倒れていた。整理の途中だった本が床に散らばって……起き上がろうとしたら、左足に痛みが走った。すぐそばに倒れた脚立が転がっていた。ぶっつけたんだって気づいた。
 痛いのを我慢すれば歩けるはずだった。そんな怪我したわけじゃなかった。でも、心が折れてしまった。

 現実の世界に戻ったら、心の中に言葉が咲いていても、声にできなかった。メールならできるし、筆談もありだけど……オアシス湖の世界のように思ったことが言語の壁を越える世界なら楽しくおしゃべりできるんだけどね。

 たくさん泣いた。
 私のしていることは、ちょうど逃げ水を追い駆けるのと同じだった。どんなに頑張っても、夢見ることしかできない。見えるだけで手が届かない。

 悔しくって泣いた。
 足下に水たまりができそうなくらい。
 ふと、見ると……水たまりの中に、あのオアシス湖畔に建つお店の屋根が見えた。
 しゃがんで、涙でできた小さな逃げ水に手を伸ばした。
 わずか、一時間未満でとんぼ返り。でも、店長はからからと快く笑うだけで、泣き顔の私を受け入れてくれた。
 そうね、心の底から逃げたいと願ったら、逃げ水に追い付いてしまったの。

 後は、その繰り返し。
 現実の世界では、数日頑張るのがやっとだった。それに、逃げ水のオアシスカフェにいた時間は、現実世界では何もなかったことになっていた。
 つまりね、《逃げたい》と願った時間と場面に戻ってしまうのが、辛かった。何度も何度も何度も、泣いてしまった場面からリスタートって、酷すぎると思うよ。浦島太郎みたいに、数十年後から再スタートとかだったら、良かったのにね。

 現実世界には理不尽なことや、意地悪な時間や、カッターナイフみたいに尖った言葉が跳ね回っているんだもの。
 舞い戻るたびに、店長は私を歓迎してくれた。泣いた理由は——店長にしか話せなかった。


 人の心は、《どこ》にあると思う?
 人の体のほとんどは水でできている。
 ちょっと難しいけど……脳細胞の中の微細な構造にある水分子が量子的な振る舞いをしている……それが、心の実体っていう説もあるらしい。
 だからかな? 異世界の水を飲むと、心が異世界に属するものに変わってしまうの。
 量子には、非局所性や不確定性原理といかいって、「ここに在る」と言い切れない性質があるとか……?
 店長からの受け売りだけど、きっと、そうだって気がする。
 だってね、《ここ》にいたくないって、強く願うと……私は、逃げてしまう。

 逃げ水の中にあるこの喫茶店は、本当に逃げ出してしまいたい人だけが来ることができる場所なの。だから、居場所のある人は、ここに来ることはあり得ない。お話ができる相手、解ってくれるお友達がいる人も来ない。

 あのね……
 私は、もう、しばらくここにいます。
 もしも、叶うなら、一緒にお話ししませんか。

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